『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』
長井好弘 編
中央公論新社
p14 交通機関麻痺…、ネタをくるときの定番コース
p22 1980年代後半から90年代は噺家がテレビタレントみたいに
p23
2001年 志ん朝他界(63歳)
2004年~ 大銀座落語祭「六人の会」
2005年『タイガー&ドラゴン』、九代正蔵襲名、
p48 青学落研にも籍
p50 右紋、正朝らを輩出する明学落語研究会
p58『創作落語論』『落語の世界』
p60 落語会は60年代から入門者が急増…順番待ちが3年
p64 1960~70年代は、グランドキャバレー全盛期
p68 好きで入った商売で、つらいことなんかあるわけない
p69 理事会「ワースト前座は誰だ」。小朝さんは「通学」、楽太郎さんは五代目の「カバン持ち」、あたしは「よその仕事」
p71 三平師匠から声
p90 ホール落語会に出ないと地方の有力落語会にも呼ばれない
p96 「反対俥」自信作を、円蔵師匠、文治師匠の高座を分析してパワーアップ
p107 透視術
p113 ここで稽古したのは、あんたと志ん朝さんだけ
p119 36人抜きに対する、仲間内のねたみ、そねみは尋常じゃなかった
p191 近江屋。文七から吾妻橋での経緯を聞いて、すぐに「身請けをして来い」って、番頭を「佐野槌」に行かせる
p210 興行の間ずっと、芸の力、集客力、資金力を問われ続ける
p214 「売れるってのは40からなんだ」
p218 落語研究会…二人ともほとんど楽屋にいないで外で稽古
p227 1980年代後半「仲がよくないのは知ってます」
p231 稽古場は寿司屋のカウンター
p256 噺の稽古をしながら一時間ほど歩きます